今年の3月1日、小さいころから可愛がってくれた叔父が亡くなりました。がんでした。
2月27日の夜、母親からの急な電話。叔父さんの容態がよくないと…もってあと48時間だろうと…そういう連絡でした。
本当に小さいころから可愛がってくれて、叔父さんの家によく遊びに行っては、絵を書いて遊んでいたことを覚えています。
叔父は福岡に住んでいたので、大人になってからは頻繁に会いに行く事は出来ませんでしたが、それでも旅行がてらたまに遊びに行った時には毎回喜んでくれたのを覚えています。
そんな叔父だったので、長くないという連絡にいてもたってもいられず、2年ぶりに福岡へ。6時間かけて新幹線で向かいました。
入院している病院に着くと、そこにはパワフルだった記憶している叔父さんの姿はなく、髪もボサボサ、やせ細ってしまって「うー。うー。」と、うなっている叔父さんがいました。
ようやく気持ちが整理できたと思っていましたが、その時の事を思い出しながらこうやって文章を書いているだけで泣きそうになります。
かなりしんどいらしく、鎮静剤で眠っているはずなのに苦しそうです。
まったく会話はできませんでしたが、「来たよー」「○○だよー」と声をかけると、少し声をだして反応してくれました。
看護師さんに聞くと、こういった時でも意識はあって、声は聞こえているそうです。
結局翌日も会話は出来ずに声をかけるだけになってしまいましたが、月曜日から仕事もあったので帰京しないといけません。
正直、最後にどう声をかけようか迷ったのですが「仕事があるから帰るね」と言って、病院をあとにしました。
帰りの新幹線、新横浜くらいまで帰ってきたところでしょうか、叔父が息を引き取ったと、母親からLINEがありました。
「お医者さんも、あと数日は頑張れるんじゃないかって言ってたけど、みんなが来てくれて安心したんだろうね…」
そう書かれていました。
叔父さん。いろんな事まとめて、ありがとう。
人は理由なくして生きられない
私はまだ幼かったので覚えていないのですが、祖母も祖父の7回忌までは死ねないとずーっと言っていて、実際に7回忌が終わったら、2週間も経たずに亡くなったそうです。
今回の出来事は、人が生きるためには理由が必要なのだと、そういうものなんだと実感しました。
そういう意味で一番やばい時期は、目標を達成して喜んでいる瞬間なのかもしれません。
目標を達成したその瞬間から、次の新しい目標をセットして気を引き締める。そんな繰り返しが長生きする秘訣なのかなとも思ったりw
何かの目標を達成した喜びに浸りつつ、そっと次の目標をロックオンする。常に何かをやっていて、常にやりたい事で溢れている。何歳になろうとも。
そんな風に生きたいものです。
余談︰50代後半では理解できない気持ちもある
今回叔父のお見舞いに福岡に行った時、80歳くらいの叔母が言っていた言葉です。
私の母親は50代の後半、もうそろそろ60歳です。
人生いろいろな事も経験して、知らない事も少なくなっているはず、感情の面でも起伏はほとんどなく、穏やかに歳を重ねていくだけ…なんか、勝手にそう思っていました。
でも実はそうでもないらしい。
「○○さん、まだ60歳になっていないんでしょう?それじゃ、理解できんのも無理はなかとねー」
私はまだ40歳ですが、この言葉を聞いて「へぇ…もっと歳を重ねて、そこで初めて理解できるものもあんだなー」と。
40歳もいい年齢ですよね?
いろんな失敗もしたし、逆に成功も経験したし、20代後半くらいの激動は無いとしても、まぁそこそこの起伏があるくらいで、あんまり大きな変化はないんだろうなぁと思っていました。
でも、どうやらそうではないらしい。
確かにいま、35歳くらいの時には感じなかった事を感じる事があります。
だから、歳を重ねたこの先に、今はまだ理解できない何かがある…そんな話も現実味を持って聞くことができるのかもしれません。
悟りをひらく。そんなエライものじゃないのですが、表現としてはあっているかなぁと思います。
この先、どんな事が待っているのか分かりませんが、まだまだ楽しい事もあるぞという事だけは分かった!
ではまた!
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